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4. KONMASA BLDG (2021 - 2024)
 

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帰国後、2019年からは立て続けに展覧会を開催した。

 

私の表現する「瞑想空間」は、紆余曲折しながらも少しずつ理想の形へと近づいていった。

 

2020年4月に私の企画展が長野県の美術館で開催されることになった。

しかし、新型コロナウイルスの影響を受け、設営は済ませたものの、初日から閉館することが決まった。

 

することが無くなり、故郷である名古屋市・有松に帰省すると、学生時代の後輩が声をかけてきた。

彼とは元々気が合い、「一緒に何かをしよう」という話になった。

2人なら1人よりも大きなことができるのではないかと感じ、

彼を信用し、理想となる瞑想空間の制作に取り組んだ。

そして、2020年12月に彼はKONMASAビルの物件を見つけてきた。

さらには出資者を見つけてきて、契約し、工事をして、

 

しばらくすると多額の負債だけ残して姿を消した。

 

全てが苦しかった。

 

しかし、この一連の流れは、KONMASAビルを作り上げるのに非常に重要な出来事だった。

 

なぜなら、彼がいなければ間違いなくKONMASAビルは存在しなかったからだ。

 

この苦しみに耐えられる限界は、そう長くないだろうと悟った。

これは苦行だと言い聞かせ、999日という縛りをつけた。

 

万一、999日間続かなければ、タンクトップを脱ぐという制約もつけた。

 

999日間KONMASAビルでは私がカフェとギャラリーを運営し、日々接客を行った。

1階床面に残された無数のサインは、個室で瞑想をしていった方々と関わったアーティストのものだ。

 

日を重ねるにつれ少しずつ増えていく名前の羅列は、まるで曼荼羅を作る修行のようでもあった。

 

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2階では旧知の仲である作家や、尊敬するアーティストの展示を入れ替わりで行った。

その中でも、2015年にNYで私が非常に感銘を受けた河原温の展示は、

KONMASAビルにとっても、私の人生にとってもかけがえのない時間となった。

 

また、母校である中学校の生徒たちと制作したタンクトップ作品の展示や、

地元有松の藍染作家、早川嘉英氏の展覧会は、故郷という「地」でしかできない活動だった。

 

3階の瞑想部屋は、理想とする瞑想空間を追い求めて999日にわたって進化をし続け、

4階では999日間かけてKONMASAを解説するフォトギャラリーとして様々な展示を継続的に行った。

 

そして、入り口──コンクリートの地面に埋めたタンクトップを1000日目に掘り出して体感する、

諸行無常。

苦行を重ねて、最後に残るたった1枚のタンクトップ。

このタンクトップには999日分の思いが全て詰め込まれており、

1000日を経て初めて「KONMASA BLDG」というタイトルを得るのであった。

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KONMASA BLDG DAY 1 (May 31, 2021)

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KONMASA BLDG DAY 1000 (Feb 24, 2024)

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